三千櫻の酒造り

酒は人と自然の絶妙な協働作業で生まれます。どちらか一方が強くても旨い酒はできません。
だからこそ私たちがやるべきことは、
基礎をひとつひとつ積み上げ、知り得る技術を全て出し切り、
酒と真摯に向き合うことだけ。

明治10年の創業以来、それだけを愚直に守り続けてきました。
143年目にして酒造りの場を岐阜県中津川市から北海道東川町へと移しましたが、
この酒造りの姿勢だけは決して変わることありません。

水と向き合い
米と向き合い
麹に語りかけ
麹の声を聞く

決して気負わず手を抜かず、自然を信じて酒を待つ。
それが私たち三千櫻酒造の酒造りです。

米への思い 米への思い

米への思い

先代からの教えの中に「酒造りも農業の担い手の一人である」というものがあります。日本酒にとって米は命。米の出来不出来によって、日本酒の味は大きく左右されてしまいます。

中津川時代も、極力農薬を使わずに育てた地元の米を積極的に使って参りましたが、北海道屈指の米どころである東川町に移ってからは、その思いがよりいっそう強くなりました。

良い米を育てるところから酒造りは始まる。その思いで、ひがしかわJA有志の皆さんと力を合わせ、『彗星』と『きたしずく』2種類の酒米の育成に尽力して参ります。東川にしかできない、そして私たちにしかできない酒米作りを目指します。

水への思い 水への思い

水への思い

中津川時代の『三千櫻』の仕み水は、自社の山から湧き出る清水を使っていました。水を守るためにあえて木を切らず、植林もせず、総天然林としての水源維持に努力して参りました。

北海道東川町は全国でも珍しい「上水道」のない町です。水道の蛇口をひねれば惜しげもなく出てくるのは、大雪山から届けられる天然の雪解け水。中津川の水に比べて硬度はありますが、素晴らしい品質の天然水であることには変わりありません。その豊かな自然の恵みを余すところなく使って、新しい三千櫻を仕込みます。

三千櫻酒造の歴史

三千櫻酒造は明治10年(1877年)、岐阜県中津川市(旧福岡町)で創業しました。中津川は南東部に位置し、木曽山脈を臨む風光明美な場所です。東には日本百名山のひとつである恵那山(えなさん)がそびえ、町のほぼ中央には木曽川水系の河川である「付知川(つけちがわ)」が流れています。翡翠のような碧く澄んだ光を放つその水面の美しさから、いつの頃からか「青川」とも呼ばれるようになりました。

三千櫻酒造の歴史03

そんな自然豊かな場所で酒造りを始めたのは、庄屋の4代目当主であった山田三千介(みちすけ)。その名にちなんで『三千櫻(みちざくら)』と名付けました。

小さい酒蔵ではありますが、自分の納得いく酒造りのために「できることはすべてやる」という考えのもと、酒造りに励んで参りました。現当主の山田耕司は6代目にあたります。

三千櫻酒造の歴史01

三千櫻酒造の歴史02

新天地を目指したわけ

岐阜県中津川市で生まれ育った三千櫻酒造は、2020年10月に北海道上川郡東川町へ移転しました。距離にしておよそ1550Km以上にもなります。その背景には、蔵の老朽化と地球温暖化により、今まで通りのやり方で日本酒を造ることが年々難しくなってきたことがありました。

143年という歴史の重みは壁や屋根にのしかかり、増改築しながら大切に使い続けてきたものの、蔵の維持は常に私たちの悩みの種でした。酒造りは設備と自然のバランスが重要です。ある一工程だけ最新の設備を入れても、良い酒ができるとは限らないからです。
それ以上に私たちをを悩ませてきたのは「温度」です。地球温暖化の影響でしょうか。ここ数年の暖冬続きで、想像以上に冷却作業が難しくなり、時間と手間がかかっていたのです。

そこへ北海道東川町が公設民営型酒蔵を公募しているという話が舞い込んできます。私たちは「北へ行こう」と決断をいたしました。

公設民営酒蔵について

新天地を目指したわけ01

新天地を目指したわけ02

公設民営酒蔵について